Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

さやいんげんが終わったら

 誰が言い出したのか知らないが「心が折れる」といういい方がある。気持ちがくじけそうになるという意味合いだと認識している。少なくとも私の今の日本語の土台をつくった幼年からの義務教育期間で聞いたことはなかったし、2000年代半ばぐらいという一節がある。有名人や(誰が有名人かという定義もあるが、少なくとも名が知れテレビに出たりするような人)スポーツ選手らが好んで口にしはじめた。啓発本のタイトルにまで使用されている。それを聞くたび私は「心って、『折れる』ものなのか?」とつい疑問に思っていた。折れる、という動詞から想像されるのは、枯れ枝や骨、三銃士の友情の証である剣とか、あるいは読みかけの本のページの、大事なことが書いてある隅の方とか。つまり「棒状」「平面状」たる形状の物質に対して使われるのではないか。眼に見えないモノに対しては「気骨が折れる」といういい方があるけれど、「気骨」って本来シベリア針葉樹林のごとく、周囲の厳しい寒さや風の中で、誰が何といおうと凛と天を突きさすみたいにまっすぐ伸びているものだから、まあ、折れる時には折れるものだろう。

 出所がいろいろと言われているみたいで、「が」を抜いた「心折れる」という形でなら、日本国語大辞典にも1714年から載っていたという説もあるが、どうも最初に使ってまともに文章として残されているものに、芥川龍之介の短編小説(1921)がある。ただどうも使用法が異なり、この短編中では、主人公の必死なアプローチに対し、ついに「相手が折れた」(気持ちをこちらに向けてくれた=承諾してくれた)の意味で使われている。そりゃあ龍之介自身だって風に耐える針葉樹どころか、あっちへいっては傷つき、こっちへいっては打ちのめされして、生涯ふにょふにょの白い「モチコ」みたいな心を抱き続けていた人だからなぁ。

 フランス語で「折れる」はse casser、だけど「壊れる」に近いイメージがあり、tourner(折れ曲がる)のほうが妥当か。辞書にはどちらも載っている。ふと英語で、break one's heart といういい方があるけれど、フランス語に似た表現があるのか現段階では定かでない。直訳すれば、se briser le coueur みたいになるのかも知れないけれど、これを使う状況というのがいまいち想像できない。そもそも心の痛みなんてのは正しい文法でエッフェル塔の上から100回正座して叫んだところで、世界のどこにも届きはしないから。と書くあたり、他人の苦しみが分からない嫌なやつだと思うだろうが、こう見えて私だって、結構しんどいことを乗り越えてきた。もうお先真っ暗だと思って、ただ絶望の中で膝を抱えて、全ての五感を閉ざして、何も見ない、感じないようにして、かろうじて命だけすんでのところで守ってきた、ぎりぎりの日々があった。でもそれをひとくくりに「心の折れた」状態と言いきることはできないし、そういうのをわざわざ取りだして、何となく世間に通じる波に乗っけて流して、究極の所「ほら、自分ってえらいでひょ」というあたりに繋げてしまう行為が、私にはどうも受け入れがたいみたいだ。

 フランス語で「さやいんげんの終わり」という言い方がある。どういう意味かと思って、「さやいんげん」(アリコ豆)、終わり、と入れて検索するのだが、何しろharicoと名のつくものだけでも何百種類もあるし、ブルターニュ半島はフランス国内の第一の野菜の生産地で――というようなサイトばかりが出てくる。そして決まって収穫の「終わり」が単語としてヒットしている。そうか、すると例えばフランスで旬のさやいんげんを楽しめる夏の終わりから秋中旬にかけて、というような季節を指し示す言葉かと想像していた。当たらずとも遠からず、という感じかと数カ月ほったらかしにしていたら、ある時「jig's upの意味じゃないかなあ」とアメリカ人の級友が教えてくれた。それって「チクショウ、終わりだっ」(jigは計画とか策略の意だから)みたいに使うよねぇ。何でまた?しかしどこで調べたのか彼女の説は、正しかった。フランス語で「さやいんげんの終わり」は「万事休す」だと辞書に載っている。

 いいですねえ。これで終わりだ、絶体絶命、人生最大のピンチだ、もう打つ手がないという崖っぷちに立った男が、ああ、これで俺もさやいんげんの終わりだ、と呟く。すると彼の頭の中では、これまであったこともないような裸の美女(仮にアフロディーテさんとしておく)がやってきて、両脇にはざるを抱えている。収穫したばかりのぴちぴちとしたさやいんげんが積まれており、その一つを取って、彼の口にそっと押し当てる。人生の最後に、彼は一口ぼりっとかじった、その瞬間、どこからともなく、みるみる生命力が湧いてきて、身体じゅうにエネルギーが満ち溢れる。心など、簡単に折れてる場合じゃない。