Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

Dance! Dance!

 フランスのパックス(イースター/復活祭)の間、パリ居残り組の私はどうしているか。早々に課題を仕上げ、踊りまくった。80年代のディスコや何かのハナシではない。正しくは「パリのスポーツクラブに入会し」「ダンスに通っていた」。現在進行形だ。

 先月ジムに入会した。目的は「ハマム」だ。冬の間、芯から凍りついた身体をほぐしたかった。身も心も冷凍保存され、永遠に春が訪れないように思えた。渡仏後10カ月、喋る人もなく自室に籠り成すべきことに集中した。決して苦痛を伴う作業ではない。孤独にも慣れている。ところが1つ問題があった。一日一回、サウナで汗を流さなければダメな体質なのだ。

 その2年程前からヨガにはまっていた。早朝練習するアシュタンガというかなりハードな流派だ。パリへ来てしばらくはスタジオで続けていたが、もろもろの事情が重なって冬に入る頃、辞めてしまった。毎朝激しい訓練を継続していた身体が徐々にではなくある日突然、その習慣を辞めるとどうなるか。至るところが軋み、悲鳴を上げる。その悲鳴を抱え込んだまま、ひと冬を過ごした。スポーツで自律的に身体をつくった経験のある人なら分かると思う。丹念に練習を重ね、時間とお金をかけて積み上げたものを失うのは、たった一瞬だ。

 スポーツを突然辞めるのは簡単でも、再開には何倍もの負担がかかる。気力の立ち上げにも長い時間がかかる。「ヨガ・ブルー」みたいな谷に落ちて、しばらく「ヨガ」はいいか、という気持ちも正直あった。ただ、この身体の痛み、違和感、自分の身体であってないような状態、コントロールのハンドルを誰かに奪われてしまったに似た状態は、早く脱しておく必要があった。身体だけでなく心や思考まで乗っ取られ、日常生活に確実に影響が出てくるのは時間の問題だ。

 外国で日本同様のサーヴィスが望めないのは承知の上だ。ましてやサウナなど、命に関わる問題でなく、優先順位は限りなく低い。アイデンティティーや滞在に関わる大事なことが山ほどある。ところがパリに来て一か月もすれば「倒れる寸前ぐらいまでサウナで茹であがり、世界が蜃気楼となる感じ」が懐かしくてたまらず、禁断症状との闘いが始まった。サウナ中毒だったわけだ。タバコや薬、マラソンといった、アドレナリンを刺激するに近い何かだ。パリ市内で「ハマム」がいくつかある。有名なのはパリのモスク併設のハマム。値段も良心的で、垢すりやマッサージはオプションで自由に選べる。18区移民街、レピュブリック広場、市庁舎周辺にも遠征を試みた。しかし1回20~35ユーロ前後もかかり、何度も行けるわけではない。衛生面、その他もろもろの海外事情により(男女一緒でスッポンポンなど)、さすがの私も懲りた。450円(東京都)で入れる銭湯は日本の財産だ。パリにもロンドンにもオスロにもなく、あとはフィンランド移住しかない。

 最後の手段だ。スポーツクラブに入会するのが手っ取り早い。マシンだの器具だののトレーニングには目もくれず、コンバットやパンプ系のフロアレッスンにも出ず、ひたすらサウナのためだけに、修行僧、いや尼のごとく通い詰めるのだ。せっかくなら施設も利用すればいいのにと思われるだろうがその心配は無用。確かに日本のサウナでも「あら、今日はサウナだけ?」「今日もサウナね」「いつもサウナね」「あなた、下(運動フロア)で見たことないわね」「あの人『サウナ会員』だから」――慣れっこである。実は学生時代に一生分のトレーニング(自称)をし尽くした感があり、この先死ぬまでランニングマシーン及びトレーニング機器に触れるまい、とまで感じる苦い思い出がある。この話題はやめよう。とにかく人には、深い事情がある。

 パリでスポーツジムといっても情報がない。どこへ行けばいいのか、費用も見当がつかない。住処である寮からアクセスのよいいくつかのジムをピックアップした。たいてい一日無料体験可。料金システムはどこも似たり寄ったりで、一か月ぽっきりだと高くつき、一年契約で銀行引き落としにすると概ね日本円にして一万円以内で収まる。日本とそれほど変わらなそうだが、問題はその内容だ。期待するわけもないが、更衣室、シャワー、ロッカー等の施設ハード面については閉口した。「これが平均」と言い聞かせ、ようやく3つ目で「ここなら通えるかも」と手ごたえを得る。大手で、市内17か所が使い放題か。スタジオプログラムが充実している。

 今はやりのBody Jam(昔のエアロビを、現代風にアレンジして機能的に脂肪燃焼。決してレオタードなど着ない)、body attackといったカンフー系を試してみたが、日本だろうと外国だろうと向いていないモノは向いていない。「自らの人生の決められた一日24時間のうち、45分、60分といった受動的身体エクササイズを強要されるのが我慢ならない」。運動が嫌いなのではない、強制的に何かをさせられるのが徹底的にダメらしい。この手のエクササイズが本来狙いとする、エクスタシーの頂点に達することができない。自発的意思に基づき、クリエイティブな要素が加わるアクティヴィティでないと面白みを感じられない。やっかいな人ですね。

 結局残されたのはダンス系レッスンのみ。日本で経験したのは日曜の午後「バレエ・基礎、初級」でおばさまたちが「1番ってなに」(注:バレエの脚のポジションのこと)と言いながら75分間の談笑で終わるもの。また「ジャズ初級」は教師がおらず、受付のお姉さんが「社員だから」と未経験で教えに立ち、いつの間にかつぶれていた。しかしここではダンス系クラスの種類が豊富で、教師も大勢いた。フリージャズ、モダンジャズ、ダンスコンテンポラリー、アフリカン、サルサ、社交、ヒップホップ、クラシックバレエ、バーオーソル(床で行うバレエの基礎に基づいたバランス調整)からアフロ、ラテン、オリエンタルダンスまで。ちょっとしたダンススタジオ並みの揃えだ。また「モダンジャズ」一つにしても、先生によってレッスン内容がまるで違う。ここにリンゴが置いてあったとして、それを描写するホロメスと向田邦子とバートランド・ラッセルぐらい違う。

 踊ることは好きだった。本と同じぐらい。本と踊りと音楽なしでは、うまく生きられなかった。体中の約70%は水分でできているが、それと同ぐらいの濃度で、私という人間は本と踊りで構成されていたといっても過言ではないだろう。ジャズダンスから始め、クラシックの基礎が必要となりバレエも習った。しばらくの断絶を経て、それでも海外のダンサーが来る時にはお小遣いをためて見に行った。当時はシルヴィ・ギエムが絶頂期で、府中で『ボレロ』を観た。

 20代以降もダンス熱はさめやらず、入社式の前日、最後のジャズダンスの舞台があり、神戸まで行った。スーツに着替え、31日の三宮22時発の夜行バスに乗り込んだ。東京へ向かった夜を、今も覚えている。

 社会人になってからも、僅かな時間があれば、スタジオを見つけて通った。ジャズから離れている時はバレエに、バレエを離れてジャズやモダン、コンテンポラリーに手を出した時もあったが、基本的に踊っていない期間というのはそれほどない。渡仏の際、スーツケースの中に使い慣れた一足のバレエシューズだけ入れてきた。夏に、パリのマレ地区にある某スタジオレッスンに行ったが、評判の割に覇気を感じられなかった。20代の頃に一度訪れているが、その時に比べて、何かが明らかに欠如していた。変わったのは私のほうかも知れない。分からない。

 さてこのジムで、モダンジャズとヒップホップのクラスに出ている。1クラス90分。離れても戻りつつ、この先もずっと関わりつづける対象があったことに感謝したい。ある人にとってはホルンとかお菓子作りとか、ガーデニングなのかもしれない。

 モダンのクラスに出た時は、驚いた。クラスは20人前後だが50代ぐらいの先生と同年代かそれより上ぐらいのおばさま層だ。先生よりもよく喋り、出来ない動きだと後ろの壁間際で一鑑賞者と化す。ジャズシューズを履くのにも、最低5分はかかる。靴ひも結ぶより、おしゃべりしているほうが断然長い。「CouCou~~(ククー)」と先生は大人たちを整列させるのに時間を費やしている。これじゃ幼稚園の保母さんである。(注:ククーは「ヤッホー」「ほらほら」「ハロー」といったニュアンス)まあ日本のジムだって、似たようなものだった。国を越えても変わらぬものは変わらない。

 場所柄、15、16区あたりのブルジョワ奥様が多い。クラスに出てくること自体が楽しくて精神衛生に役立っているのだろう。寿命だって運動していない人に比べ、5年は延びている違いない。おばさまの一人は私に言った。「先生がアンタほど若い頃から来ていますよ。かれこれ20年ぐらい」。レッスン後の更衣室は壮絶だ。裸になって、振付けの最後の部分を誰かが踊り始める。「ねえさっきやった新しいとこ、あたし階段上がる間に、忘れちゃった」「こうで、こうよ」「で、次はこうじゃなかったっけ」総勢5~6人が全裸で踊る姿はそれなりに荘厳な眺めだ。ブラジルの若い女の子たちのぴちぴちサンバなんかより、だんぜん迫力がある。垂れ下った乳からは、年月の重みが感じられ、人間味に溢れている。是非皆様も一度近くでご覧下さい。うっかり参加したくなって・・・・???

 Hip Hopはこれまでも、おそらくこれからもやらない種類のダンスだと思っていた。NY裏通り兄ちゃんのくねくね系ステップなんてとても真似できない。何事も広くやればよいものでなく、向き不向きを見定めるべきだ。適したものの中で掘り下げていくことだって短い人生には必要だ。

 バレエシューズ一足で、ジャズ強行がいよいよ困難になってきた。頑張って無理に踊れないことはないが、滑るし、時に踏ん張りがきかず、へっぴり腰で間抜けに見える。最大級の力で飛びたいのに靴のせいで飛べない、回れないというストレスフルな状況が重なり、ついに市内のバレエ・ダンス用品売り場へ。3か所をみて回り、気に入った41ユーロのシューズを購入した。サンシャというダンスメーカーで、私の人生最初のバレエシューズがこの社だった。そう言うと私が購入したのと同じシューズを履いたイケメン男性店員が色々とおまけを入れてくれた。軽く180センチは越しているであろう彼は、その場でシャンジュマン(バレエの脚技)も見せてくれた。なかなか営業上手である。試し履きをして唖然。これまで履きつぶしてきたシューズと違う。床の感覚がダイレクトに指で感じられるのに、かかと部分はしっかりクッションがきいて、重心が下方に安定される。スバラシイ。私は翌週のモダンジャズの前に履きならしておくためだけに、そのまま最寄りジムで夕方からのhip hopに直行した。ただそれだけの話だった。

 フランス語ではHの音は発音されないから、まさに「イップ・オプ」みたいに聞こえる。「ワン・ツー・スリー」のカウントだからどんな早いテンポでもノリにのれるのだが「アン・ドウ・トロワ」で受けるヒップホップなど想像もつかない。経験してみるのも悪くない、程度の気持ちだった。

 定刻10分前なのに、既に20人ほどの生徒が、完璧な一曲の振りを繰り返している。舞台か何かの特訓かと思った。スタジオは広く、照明は暗く落とされ、彼らの踊りを私はじっと見つめていた。教師は40前後の男性。なかなか力強いオーラで、舞台人の存在感を懐かしく思う。その人が行くに強烈な重力が渦巻くのが色彩を伴って見える。教師には、口で振付を説明するタイプと、自ら見せて生徒についてこさせるタイプといるが、どうも彼は後者らしい。

 定刻を少しすぎてヒップホップのクラスは始まったのだが、フロアにはまだ、前のメンバーの熱さが残っていた。アップをしながら、ああ、いつまで続くか分からないけれど、いつまでパリに居られるか分からないけれど、今、この一瞬を大切にしよう、と、素直に思った。振り移しには、だからできる限りついて行った。若い時の「熱さ」は変化する。誰だって。身体は昔に比べたら固く、脚は開かず、上がらなくなる。なんとかぎりぎりまであがいたり対抗したりして、変化を受け入れるのはしんどさを伴うこともある、それでも踊り自体は、「深み」を増していくのは可能だ。

 彼のスタイルは「Street Jazz」らしい。ダボダボウエアでズボンをずり下げ「大人なんかくそくらえ」と叫んでみたりする「ヒップホップ」ではないらしい。第一印象としては、エナジーとnomble(気品)を持ち合わせているということ、一言で言えば「Photojenic」(フォトジェニック)だな、ということだった。この教師が年月を重ね築いた「スタイル」である。私はその時、例えるなら通りすがりに、熟練のトランペット吹きの音楽を偶然耳にしてしまったようなある種のふるえを感じていた。「ああ、どうしようこんなすごいものを見て(聞いて)しまって」という恐れに近かった。

 クラシックな伝統芸能と比べると、現代ダンスは軽く見られがちだ。踊る人の数だけスタイルはある。私はこの日、彼の「空間をひとつにまとめる力」に衝撃を受けて帰った。

 NYに「アルヴィン・エイリー」(1958~)というダンスカンパニーがある。アフリカ文化を取り入れ、人間の身体、魂そのものに迫ってモダンダンスの歴史を変えたといわれる。伝説の振付師、アルビン・エイリー。地の底から湧きあがるような舞踊がなぜか思い出された。もちろん表現も、テクニックもまるで違う。でも、想いの河のほとばしり方がどこか似ている。

 そういえば「フランス語」でのクラスに違和感を覚えなかったのは余裕がなかったせいだろうが、そもそも古代より舞踊は「言葉にならない想いを表現する手段」だから。――それじゃ困る、ますます語学が上達しない。せめて休講情報ぐらい、ちゃんと理解できるように。