Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

<Les garcons et Guillaume, a table ! >

 フランス2013年11月公開映画 <Les garcons et Guillaume, a table ! >「ギャルソン、ギヨーム、ご飯ですよ!」は2014年3月、セザール賞を総なめにした。主演(及び母親役)・監督・台本は、役者のギヨーム・ガリエンヌ。ゲイと思われていた主人公がヘテロと気づくまでのコメディタッチの自伝。昨年は同性結婚が合法化された年で、タイムリーな話題だったらしい。封切後、街の映画館は『ギヨーム』一色で、受賞を機にまだ根強く上映され続けている。もうDVDもあるのに。

 何を今さら、という感じだが、一人4役をこなしたギヨーム・ガリエンヌさんは、コメディ・フランセーズ2005年入りの役者で、映画の元は同タイトルのワンマンショー(自分、父、母の3役)ということだ。映画もそれに基づいて一人称回想で進められていく。ギヨームは3人兄弟の末っ子で、女の子が欲しかった母は彼をそのように育てる。ギヨームは「そうか、自分は上の兄ちゃん2人とは違う。男じゃない」と信じ、多感な少年時代を「ゲイ」として男子寄宿舎で過ごすものの――というひとくせある自伝映画に仕上がっている。なるほどフランスでうけるツボはこれか。人と違うことが前提の国家とはいえ、個でいることは楽かと言えば、そうじゃない。異なることは、自然体でいること、ありのままでいることみたいに考えている人が居るとしたら、それは大間違いだ。集団でいることなんかよりずっとキツく、孤独で、永遠の努力を要する作業で、闘いには違いない。個を尊重する国に行きさえすれば自由になれると思ったら、相当痛い目にあうだろう。

 映画評は別の場所でするとして、今日はその名前「ギヨーム」考。最初にタイトルを見て、うまいなあと思ったのが、このギヨームという名前が男女どちらにも使われるものであるということだ。昨年、私の仏語音声学もギヨーム先生。妊婦、そう女性である。自己紹介の時、「私の名前はフランス人では昔からある平凡な名前ね、有名人では他に誰か知っている?例えば詩人の」「――ギヨーム・アポリネールGuillaume Apollinaire)!」なるほど。私など真っ先に「ギヨーム事件」が浮かぶけど。(注:西ドイツ時代の首相秘書、ギュンター・ギヨームによるスパイ事件)

 日本でも“同じ名前”を題材にしたヒット映画があった。岩井監督の「Love Letter」(1995)は「いつき(樹)」という二人の男女の展開する物語。90年代に10代を過ごした我々にはバイブル的存在。2000年代に入って映像輸入が自由化された某アジア国の若者に、この映画は人気らしく、パリの街中で、『オゲンキデスカ~』(映画中の『必殺』セリフ)」と手を振られたこともある。

 キリスト教系の国ではこうした「男女どっちでもイケル」名前が結構あるみたいだ。「カミーユ」なんて男性の名前かと思っていたら(カミーユ・クローデル/彫刻家)女性にもいる。発音は同じでも綴りが違って、女性のほうが最後に「e」が一個多く付く。「ミッシェル」「ルネ」さんも同様。「ドミニク」はもともとeで終わっているから、男も女もドミニクさん。

 フランス人の名前は素敵だけれど、響きの萌え度・世界ランキングで上位トップ10に輝くのは、どう考えてもロシア人である。それも名前じゃなく氏(ファミリーネーム)のほう。よくロシア文学は登場人物の名前が難しすぎて覚えられない、本名とニックネームが混在し、さらにミドルネーム(~ッチ:~さんの息子、とか)が加わったりして、読者に不親切だ、などと言われる。確かに最初は面食らう。でもそんなのアルファベット圏の外国人が日本の文学読む苦労に比べたら大したことはないだろうと言い聞かせ、一度、我慢して読んでしまう。終わるころには、あの独特の重苦しい響きが懐かしくてたまらなくなる。ジミーだのケリーだのじゃ、軽すぎて物足りない。どうしよう。軽い禁断症状のようなものがやってくる。再び手にした自分に気づけば、既に由緒正しきロシアンマフィアならぬロシアマニアへの第一歩を踏み出したと認めざるを得ない。手っ取り早く、威厳最大級でいくなら「ドストエフスキー」「トルストイ」は避けて通れない。ドミートリー、イヴァン、アリョーシャ、三点セットで覚えておけば怖いものなし。「・・・スキー」系だとあとは音楽家でチャイコフスキー、ストラヴィンスキー(かっこよすぎる)、ムソルグスキー、指揮者のゲンナージって、全部発音するとゲンナージ・ロジェストヴェンスキー、スキーの前の部分「ロジェストヴォ=ノエル」(クリスマス)だと、これは某音楽院に通うロシア人から聞いたホントの話。

  「・・・スキー」系以外に、「・・・フ」も重要な位置を占めている。スメルジャコフさんは必須。ロマノフ王朝やゴルバチョフなくしてロシアは語れず、ピアノのラフマニノフも、その発音を聞いただけでロシア革命の波が協奏曲とともに頭の中に吹き荒れてくる。

 フランスにいて、ロシアの重厚な名前に想いを馳せるのも、悪くない。その昔、上流階級のロシア人たちは、美しいフランス語を話したそうだから。