Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

Apres la pluie, le beau temps /雨降っても・・・

 Apres la  pluie, le beau temps 「雨降って地固まる」。小学校の時、学習向け某月刊誌を、購読しており、3年生で付録に「ことわざ辞典」が付いていた。面白くてかじりつくように読んだ。私の言葉好き、文章好き、ひいてはことわざ好き(マニアとも言う)はそこから始まった。四字熟語バージョンとかもあった。付録がインドネシア語とか、因数分解とか、人体のひみつ、だったら、今頃違う場所で、違う人生を送っていたかもしれない。夏休みなど比較的長い期間の付録には短編小説集もあった。コナンドイルとか、有島武雄の「ひと房の葡萄」だとか。繰り返し、暗記するぐらい読んだ。

 朝からひどく雨が降っている。春先から殆ど夏を思わせるような日光が降り注いでいたので久しぶりだ。私の思うパリは10月から2月末ぐらいまで低い雲に閉ざされ、3月が来てようやく「あ、もしかして春が近いんじゃ」と何がしかの希望を見出せる。最終日曜日に夏時間となってからは一気に気温も上がり、半袖の人々も続出、もう夏である。夜はまだ寒い。

 初めてニュージーランドに行った時、ロンリープラネットというガイドブックに「ニュージーランドには一日のうちに四季があります」と書かれていて、なるほどと思った。1年のうちいつ滞在しようが、春夏秋冬全ての気候が24時間のうちに存在する。旅行者は、それに対応できる着脱可能な服が必要だ。その後海外を巡り続けて、何もニュージーランドに限った話ではないなあ、欧州全般にも充分当てはまる、と思うようになった。

 今までやられたなあと思ったのは8月のドイツ・オーストリアだ。一か月、一人で回ったけれど雨でない日は一日もなかった。寒くて日本のアンダーシャツを着たままだったし、白のカーディガンも手放せなかった。靴はいつもびしょぬれで、途中でpumaのスニーカーを買う羽目になった。「ざあざあ」でなく「しとしと」と降り続くのだが、日本の梅雨とは全然違って、湿気がないから、ただ、曇った空から水滴が落ちて自分を直撃する。ところで、ドイツ人は繊細で、高速道路では「低気圧が近づいているため注意」と表示がでるという。(ドイツで運転したことはないから分からない)。何故気圧が低くなると注意なのか。身体に変調をきたす恐れがあるという理由らしい。リンパや血管の流れが平時より低下するからで、敏感な人は、眠気・頭痛・めまいを感じたり、肩こりやだるさを生じたりすると医学的に研究されている。平時なら考えられないような見落としや不注意による事故が多発したりするのかもしれない。

 個人差によるところが大きいと思われるが、フランス人は往々にしてドイツ人ほど繊細ではないのだろうか。

  昨年6月、梅雨のじめじめした日本から来て、覚悟していたとはいえフランスの「夏の寒さ」はきつかった。どこへ行っても調整不能なクーラーがガンガン効きまくり、8月の最中に、ほんとうにダウンが必要なのだから。

 雨だって気まぐれだ。いきなり夕立みたいなやつがざざっと来て、3分後には知らん顔、なんてことがしょっちゅうある。それをこちらでは「雨」と呼ぶらしく、誰も傘なんかさしていない。パリで傘を掲げているのは、観光ツアーの先頭を行く各国の公認ガイドさん(「ハイ、迷わないでアタシについてきて下さいね~」)だけである。折りたたみなのにバカでかく、ほぼ99%女性のガイドだ。日本の◎◎バス、みたいに若くてスカートをはいている・・・なんて一人もいない。がっしりと、筋肉質で、早口のアメリカ英語をまくし立てる。次々とやってくる浮浪者や「金くれ」とせがむ子供、物乞いたちを見事に押しやり、各国の観光グループを押しのけ、我が先に自らの集団を率い、人ごみをかき分けて突進していく。見ていて圧倒されるものがある。こうなったら、傘の代わりに英国ステッキを優雅に振り回す、紳士ガイドの一人ぐらい居てもいいと思うが。

 天候の話に戻る。パリの夏期間における「夕方」という時間帯が未だに慣れない。15時ぐらいまでぐずぐずしていたのに、いきなり17時(日本ではよい子はみんな帰る時間だ)になって「よし、そろそろ本気だすか!」といった感じに、かあああっと陽が照りつける。誰かがどこかで、何かスイッチを押したみたいに。省エネで60%ぐらいのモードだったのだが、ここで一気に「夕方モード」全開になる。恐ろしい瞬間が確実に存在する。そうなると、あとは21時ごろまでそのままである。21時を過ぎると、そろそろ営業終了、という感じでわずかずつ暮れはじめるのだが、間違っても「夕暮れ」だとか「夕闇」みたいなセンチメンタルな時の移行はない。あくまで機械的に色が薄まっていく、あるいは陽の光が弱まったために、寒さが強く感じられるのみである。とんぼもいなければ、夕焼け小焼けのメロディーが流れてきたりもしない。セーヌの河上には観光船が行き交い、人々がワイン片手にまだまだ語り合う――パリは間違ってもこどもの街ではない。ウッディ・アレンの映画『ミッド・ナイト・イン・パリ』に描かれたように、パリは基本的には夜の街だ、と思う。

 高校の頃読んだ堀口大学の詩の一つに、『夕ぐれの時はよいとき』がある。それは「かぎりなくやさしいひと時」で「季節に関わらず、人の心を誘う」。気取らない日本語の語感がすっと入ってきて、何度も何度も暗誦したくなる。それでいて、段落を踏むにつれて「夕暮れ」への分け入り方はどうひっくり返ったって真似できない、詩人の「眼」なのだけれど、あれから二十年たって渡仏してみれば「堀口先生――パリには『夕暮れ』がありませんでした」というしかない。

 Apres la  pluie, le beau temps、雨の後にはよい天気、という意味。こちらでは字面のまま「雨降る⇒3分後に晴れている」 単純にそれだけの気候状態。ハッキリ言って「もめごとが起こった後にかえって以前よりよい状態になっている」といった、深読みの必要も余裕もない。雨降っても地なんか固まらず 「あ、降った。あ、あがった」 ただそれだけのハナシである。

 Apres nous le delugeといった人がいた。「我々の後に大洪水あれ」nous(我々)はmoi(私)とも解釈される。delugeはノアの洪水の事らしい。1757年、フランスとハプスブルグがプロイセンに敗れた際に、当時のルイ15世、あるいはその愛人ポンパドール夫人が言った言葉だとか。うんちくはいいから、結局どう訳されているか調べたら 「あとは野となれ山となれ」。

 よく辞書では「雨降って――」の反対の諺に「大山鳴動して鼠一匹」がある。あれほど大騒ぎしたのに、期待したまともな収穫が無かった、ということ。日本語で考えれば理解しやすい。でも雨が降ろうが上がろうが「知らないよ」のフランス。反対語にしてみたところで、この「我々の後に大洪水」というポンパドール夫人のささやきのほうが、お国柄=フランスの本音に近いのかも。「どうなろうとあたしたちのあとは、知ったこっちゃないわ」。

 あ、雨がやんだみたいだ。