Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

教会からこちらへ延びるシブイ道 

 私が昨年から住んでいるのは、パリの南にある国際学生寮で、RER/B線の停車駅でもある。14区に位置する広大な敷地で、東京ドームが丸々――おっと、これは日本でしか通用しないものさしだった――とにかく広すぎて、47だかの世界各国の名を冠した寮と、図書館、シアター、レストラン、カフェ、プールに競技場まである。パリの中にあって、全く隔離された空間だ。はじめの一か月滞在した館から、秋からの新年度、プラッサージュ(交換)で他館へ行ってくれる候補者の打診があり、喜んで行った先が、さらにトラム(路面電車)でひと駅離れた敷地の果てだった。むしろ正面玄関のRER線の大きな駅より、パリ市内どこへ出るにもメトロ4番線の通るポルト・ド・オルレアンの駅のほうが近い。特にスーパーや買い物でこちらを拠点にするようになると、もう同じ寮内に住んでいるとは言えない程、がらりと生活圏が変わってしまった。

 オルレアンの駅から少し南下したあたり、チェーン系のホテルが立ち並んでいる。豪華ツアーでなく、できれば安く旅費を上げたいといった、比較的旅慣れた感じの旅行者たちが、大きなスーツケースを転がして歩いている姿によく出くわす。トラムの駅は常にビールの空き缶が転がっていて、昼間から怪しげな目つきと言動の老若男女のたまり場である。ここを拠点にトラムで東西移動する東欧系の物乞い親子が多数。言っておくが決して治安のいい場所ではない。RERの駅がそれなりに立派な面構えで、学生に交じって、時にはスーツを着た教授や知的階級の人々も乗り降りし、多少アカデミックな雰囲気があったのに比べると、たったひと駅でGive me passport!と叫びたいほど、国境をまたいだ感がある。

 メトロ4番線はオルレアンの次のモンルージュという駅が最南端、終点である。実質的にはこのオルレアンで殆どの人が下車し、あとはバスやらトラムに乗り換えたりしている。パリ中心部へ向け北上する側は、サンジェルマン・デプレ、サン・ミッシェルからシテ島を貫き、多くの路線が交差する心臓のシャトレ、東駅、北駅を通り、のみの市で知られるクリニャンクールまで続く。

 オルレアンの駅から大通りに立って北をまっすぐ見ると、大きな教会が正面に構えているのが見える。ここが一つ目の駅、アレジア。そこから北へ向かって、右と左にYの字に道が分かれている。私が利用するのは4番線沿いの右側の道だ。ここから次のダンフェール・ロシュローの駅あたりまでは道の両側に店が並ぶ買い物通りでもある。大手チェーン系スーパー、映画館、肉、魚、チーズ、パン屋、スシ屋、花屋、チョコレート屋さん、今はやりのbio食品の店など。大きくも、特に洗練されているわけでもないそれぞれの店だけれど(失礼)、ひと通りそろっている。オペラ座周辺や、シャンゼリゼ通りといった、明らかに観光客向けの高級店でなく、庶民の生活感があってほっとする。ダンフェール・ロシュローさんというのは普仏戦争の時の英雄で、1879年、もとは城壁門跡の広場を彼の名にちなんで名づけ、その際、駅も一緒に改名したらしい。時々ものすごい人々が長蛇の列をなしていて、きっと「何か有名な裁判があるんだわ」と、傍聴券をもとめる人々か、あるいは「超有名アーティストのチケットの発売日なのかも」と思っていた。それでも、通るたび朝から晩まで毎回なので、どうして駅の目の前なんだ、と謎は解決されなかった。やっと分かった。「カタコンブ」と呼ばれる地下納骨堂があり、600万人のガイコツが納められている。18世紀から公開されている由緒正しき観光名所とのこと。「そんなの、みんな知ってる常識でしょ」と、私に教えてくれた人はあきれたが、ほんとうに?知らないの、私だけ?だいたい、なんでパリに来て、そんなもんみなくちゃいけない?生きてるうちは、遠慮しておく。

 新しい館に派遣が決まった少し後で、パリのある会合で、立場のエライ人と話す機会があった。その人はほんとうにこの国と街を愛していて、少しでもよそからやってきた若い人たちに、よい思い出をつくって帰ってもらいたいと心から願っている、そういうことが言葉の隅々から感じられる、年配のジェントルマンだった。フランスでこんな優しい面立ちのひとが居るのだなあ、と思いつつ、何の話のきっかけだったか、そう言えば、私は来月から少しオルレアン寄りになるのです、と言った。ムッシューは「ああ、すぐ先にアレジアの教会が見えるでしょう。教会からこちら側へのびるシブ~イ通り、いいですよねえ」。シブ~イ、の所だけ、目がしらのあたりにくしゅくしゅっと皺を寄せて、いい感じに歳をとったポール・ニューマンが昔を懐かしむみたいに言った。そこで突如、講演が始まったか何かで、ムッシューとの会話は断ち切れになってしまった。私には、2つの疑問が残された。

 1つには「こちら側」が右なのか左なのか。彼は単に「こちら」という指示代名詞を使ったのだ。2つ目は、Astringent な通りという、その「シブさ」具合の内容である。パチンコ店とフーゾクがひしめき、週末には・・・というのも一つだし、単に古臭かったり、故郷を思わせたり、飲み屋が連なっているというのもシブさの見識のうちである。ノスタルジーを指すこともある。彼のいう「シブさ」が、具体的にいかなる領域を指すのか確かめたいと思いつつ、日々の忙しさにまぎれ、すっかり忘れきっていた。

 教会から、間違いなく「右」へ伸びるほうの道が、先にも述べた一応の「表通り」である。では左が裏かといえば、決してそんなことはなく、モンパルナスを通過し、サン・ラザールという大きな駅に向かうバスが走る、同じぐらい交通量の多い大通りだ。右に比べ、少し華やかさに欠けるけれど、こちらも商店が並び、内科医、私立探偵派遣会社、ランドリー、ピザ宅配と豊富にそろっている。さあ困った。通りの概観は現場でつかめたが、私はムッシューの人となりをそれほど深く知っているわけではない。どんな境遇で育ち、どんな仕事を重ねてきたか、家族構成、住まいはどこか、彼の基本情報は殆ど持ち合わせていない。あの温厚なムッシューをして「シブい」と言わせしめたのは、右か左か、一体どちらの道か。次に会った時、しらばっくれて「ああ、そういえばアレジアの、例の教会近くになんとかって店ありましたよね、ほら映画館の隣の・・・」と切り出し、答えを得てみるかと企んでいた。ところがしばらくして、その機会はかなりの確率で失われたことをしった。ムッシューは、あのすぐ後、どこか外国の大学で教鞭をとるため発った、パリには数年戻らないという。

 「シブい道」のことはそれきりになっていた。ところが先日、突然62番のバスに飛び乗る羽目になり、それがアレジアの教会の、右でもなく左でもなく、ちょうどYの字の中央を東西横一文字に斬る形で伸びる、その名も「アレジア通り」を通過していったのだ。バスの中から「おお、これはもしかして・・・」と息をのんだ。道の両側には、セール時期でもないのに「25%オフ!!」「最終価格」と書かれたメーカー服や(高級ブランドでないが)カバン、靴、革製品等の雑貨系の店など「安売り店」がひしめいている。いわゆる「セレクトショップ」的な洋服店が数としては多そうだ。子供服、ブラジャー専門店まである。通りには観光客なんか一人も歩いていなさそうである。道には必要以上の「キラキラ」感はない。歩いているのは「パリジェンヌ」などでは決してない。皆、つい5分前まで家で寝ていたが、といっただるーいジャージ服を着た「近所系おじさん、おばさん」である。昼のパンがないからちょっと買ってくる、ひげ剃ってないけど隣だからいいよな。この感じ、中央線各駅停車の、例えば高円寺だとか西荻窪の駅前から続く、数分歩いた辺りの、商店街の雰囲気に似ている・・・次の角で、ラーメン屋がひょっこりでてきても、なんの違和感もない。

 地図も持たずに乗っていた私は、バス内の停留所表示をみながら現在地を隣の女性に聞いた。「アレジア通り」。食い入るように窓の外を眺め続けていた私がおかしかったのか、私より少し上ぐらいの、その女性は続けて言った。「ストックでしょう。何探してるの?」「ストック?」女性はああ、という顔をして、流暢な英語で「アウトレットのことよ。去年モノの」と言った。

 調べてみると、パリ14区のアレジア通り(Alesia)は古くから、シーズン落ちのブランド服などを扱うストック街(アウトレット街)として知られるということだった。観光客向けではない。地元っ子が利用する。個人的イメージとしては、昼間、仲よしのおばさん二人が小さなリュックを背負って、サンドイッチ(パリ風のバゲットにいろいろはさんでいるやつだ)片手に、「さっきのとこにしようよ」「でもあっちもみてからにしない?」と、中学生ばりの会話を交わしている印象だ。仲良くショーウィンドーを楽しむ「オトナの放課後」である。都会の喧騒はない。店に入れば、なじみの店員と長話をして、気がすむまで試着する。帰りにはスーパーで、今夜の食材をひと袋分買って、夫の戻るまでに帰ってくる。そんな微笑ましき平日の午後。

 ムッシューの言った「教会からこちらへのびるシブイ道」は、この通りのことだったのか。確かめることはできないが。パリの中の、ちいさな杉並区。