Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

eau gazeuse フランスの炭酸水

 日本にいても外国にいても、普段わりと平気で水道水を飲んでいる。飲み水に、わざわざお金を出してペットボトル入りの商品を買った試しがない。別に何か強い信条があるわけでなく、単にこれまで「水道水を飲んで、なんともなかったから」である。お腹を壊した試しもなければ、病気一つしていない。20代の頃、途上国は相当回ったけれど、まるで平気だった。おそらく、それよりももっと若い頃に「水に飢えた」いくつかの経験があるからでないか、と思う。戦時下を生きのびたわけでなく、筆者が十代を送った90年代の日本のハナシだけれど、それはまた別の機会に。

 「水」を求め極限まで自らを追い込んだ経験があって以降、私は、水道をひねれば「安全で、まともに飲める水」がでてくる状況を、奇跡みたいなものだと考えるようになった。めったなことがない限り、日常生活に置いて「敢えて水を買う」という選択肢に結び付かなかったのだ。ここでいう「めったな」とはどのような状況かというと、(1)欲しくても手に入らない、スーパー1つないサハラ砂漠のど真ん中、あるいは(2)どうしようもない汚染水だった場合。人体に明らかに悪影響を与える菌がうようよして、飲んだら確実に死ぬと見た目にも、科学的にも実証されている(多くは途上国を指す)場合、の2パターンである。サハラ砂漠は行ったことがなく、しかしロシア、インドやネパールでは、安宿の水を飲んでぴんぴんしていた。ここまで来ると、逆に私の身体のほうに有毒物質も殺してしまうほどの強烈な物質が存在するのではと、多少心配になってくる。

 さて、ようやくフランスの「水」について。欧米の水は基本、殆どが「硬水」である。字の如く、硬度の高い水のことで、カルシウムイオン、マグネシウムイオンなどが含まれている。そう言われたところで、具体的にどういうことか、ピンとこない。が、実際に生活してみると、

・洗ったコップをそのままにしておくと、水滴の跡が白く描かれている

・Tefalの湯沸かしポットの中も注ぎ口も、白い石灰がたまって、真っ白だ。

・家庭では洗濯機の管が石灰で詰まり石灰溶かしの薬剤を一緒に入れるらしい。

・シャワーの後、肌にも石灰成分が残るので、肌荒れ、かゆみを引き起こす

・そのため、フランスで売っているボディ用石鹸、シャンプーにはちゃんと石灰質を分解する酵素が入っている 

 ――などなど、「硬水の国で生活するということ」がどういうことか、ひとつひとつ、具体的な実感として分かってくる。

 湯沸かしポットの底は、使い始めて一か月もしないうちに白い石灰で、がびがびに固まってしまった。時々、珈琲にも白いものが浮かんでいたりする。ならば水道水を平気で飲んでいる私の腸や体内は、どうなっているのだ。石灰質が付着しまくり、今すぐでなくとも、何年後かに巨大な結石になっていたらどうしてくれよう。フランス国家により、一応日常水は「飲んでも大丈夫、人体に影響はない」とされているが、水に関する世界基準がよく分からないまま断言されてもますます不安は募るばかりだ。

 ある日何の気なしに炭酸水を買ってみた。蛇口をひねってもさすがに炭酸水だけは出てこないから、コインを何枚か使ってでも購入する価値はあるだろう。日本ではレストランやバーで「ペリエ」がメジャーだが、それ以外にもサンブノワ、バドワなど、種類は豊富で、日本で見かけないラベルもたくさんある。500ミリリットルだと高くつくが、1.5なら大抵1~2ユーロでおさまる。珈琲一杯やジュースよりは安く、駅の自販機で500ミリリットルのエビアンでも買おうものなら2ユーロ(280円)もするこの国で、少々マシでは、程度の感覚だ。

 試してみてこれがうまい!!日本でも実は、夏やサウナ上がりなんかにちょびちょび飲んではいたけれど、胃をビシっと刺激するので炭酸そのものが好きではなかった。「白湯に勝るものなし」の我が常識を打ち砕いた、フランスの炭酸水。まさに「五臓六腑にしみわたる」という感じで身体が喜びの声を上げながら吸収していく。私は驚いた。このスッキリ感は普通の水では得られない。私だって、飛行機の中で出るペットボトルの水ぐらい飲んだことがあるから、ボルヴィックやエヴィアンの味だって知らないわけではない。でもいったん炭酸の魅力を知った今、それらすら遠くかすんで見える。

 日本でワインがそれほど飲めない体質だった人が、フランスに来たとたん飲めてしまうというのはよくあることらしい。私のケースも似たようなもので、体質や好みが突如変わったというよりは、フランスの気候、環境に身体が順応し、それに見合ったものを欲したに過ぎない。うまいワインは旅をしない。生まれた風土の中で味わってこそ、という表現だが、水にもあてはまるとは思いもよらなかった。人体の60%以上を構成する基本的要素だから、当然と言えば当然かもしれない。

 炭酸水は昔から、疲労回復や消化促進、お肌への美容効果まで言われている。「シャテルドン」(CHATELDON)という炭酸水はルイ14世の愛した「太陽王の水」として知られている。1650年、王の主治医が「この水は閣下の重圧を開放し、健康を回復し、癒しをもたらす」として献上、すっかり魅了されたルイ14世は、フランス中部、源泉のあるオーベルニュ地方からラバの背にのせてヴェルサイユ宮殿に定期的に運ばせていたらしい。

 その昔、ヨーロッパで「水」は貴重だった。標高が高い山脈から流れ出る水は手に入りにくく、ミネラルたっぷりの硬水は薬として使われていたほどだった。だからフランスではワインが、ドイツではビールが、水がわりに飲まれた。今もシャテルドンはフランスの一流ホテルやレストランで超高級水として出されている。私は、せいぜい1ユーロまでの、日々のささやかな楽しみにしておこう。