Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

ストイックであるということ(後編)

 「♪走る、走る、俺たち 流れる汗もそのままに」 私が小学校の時、ヒットしたロックバンドの曲をつい口ずさんでいる、ということがパリで数回あった。なんでパリまで来てこんな泥臭い歌を、しかも日本語で口ずさんでいる?タイトルも、歌っていたグループの正式名称も思い出せないのに。足を止め、周囲を見渡す。誰に見られているわけでもない。そこにはただ、私を抜き去って行ったランナーの残した風がそっと微笑むだけ・・・そう、原因は彼、または彼女である。パリでは朝だろうが昼だろうが、晴れていようが雨だろうが、いついかなる時でも場所でも、必ずと言っていいほどランナーとすれ違う。ニューヨークやロンドンに行ったのはだいぶ前だけれど、ここまで走る人々とすれ違った記憶はない。おそらくランナーであれば、ニューヨークはセントラルパークを、ロンドンならハイド・パークやサウス・バンク周辺を走っているからだ。ならばパリでも、公園を走るだろう。私の滞在寮はモンスーリ公園というジョギングのメッカ目の前にあり、朝夕にそこから出てくる人々とすれ違っているのだ。ところが1区、2区あたりの繁華街や観光地を普通に歩いていても、あるいは住宅街の路地でも、とかくランナーに遭遇する。平日だろうが土日だろうが、時間も気候も全く関係ない。

 世界の都市を引き合いに出さずとも、日本だって似たような状況だ。ランニングはもう何十年と前から根強い国民的スポーツとも言って言えなくもないし、何をかくそうこの私だって、学生時代、倒れる寸前まで皇居の周りや外苑をぐるぐると何周も回りつづけた過去がある。当時と比べると幾分状況は変わった。スカートを履き、かわいい恰好をした女性が走っているのにはビックリした。(ランスカというらしい)水曜夜の皇居では数えきれないほどのスポーツクラブや会社の旗がひしめいている。彼らは団体で走るため、道は渋滞し、追い越すのに5分はかかる。もちろん反対方向に走っているランナーもいて、自分の走りに集中するどころの話ではない。

 その点、パリのランナーは「マジ走り」である。みんな、何か思いつめたような顔をして、深刻そうに走っている。3月、4月は日が差してきたとは言え、まだまだ肌をさらすには寒い日が続くからかも知れない。ipodを聞いている人たちも多く、基本彼らはひとりである。老いも若きもみな黙々と、雨に打たれようがひたすら走る。団体で走っている姿を見かけたことがない。時々男女をみかけるぐらい限度である。あまりグループで走るという考えは持ち合わせていないのかもしれない。その顔は「ストイック」そのものである。トリュフォーの『大人は判ってくれない』の中で、体育の時間に学校周囲の狭い道道を走らされている生徒たちが「ショートカット」する場面があった。現代パリですれ違う、自発的ランナーたちの中でああいう「たりーな」顔で走っている人はまあ当たり前だけれど居ない。私は「走る 走る 俺たち」と口ずさみながら、実は彼らを応援しているのかもしれない。そうだ、やっとタイトルを思い出した。『ランナー』 だ。

 4月6日(日)が2014年のパリマラソンだった。自分が走るわけでも、知り合いが出るわけでもないのでわざわざ出かけない。公式ホームページは充実していて面白い。今年39回目、35000人規模の大会で、凱旋門からシャンゼリゼを通り、コンコルド、バスティーユ、セーヌ河畔を抜けてブローニュの森へという観光名所を駆け抜けるコースだ。

 走るという行為は、多かれ少なかれ人にストイックさを要求するものだ。公式HPの動画を見ていると、沿道のブラスバンドや、給水風景や、エッフェル塔、凱旋門といった名所が次々と現れ、人々は満面の笑みをたたえ、間違いなく「楽しい」ものに仕上がっている。けれど走っているのは当のランナーたち一人ひとりであり、相当苦しいものに違いない。人によってははるばる海の向こうから飛行機でやってきて、時差と寝不足で、体調も万全とはいえず、景色なんかひとっつも目に入らず、それでも完走するため必死に足を前へ運ぶことしか考えていないひとだって沢山いるはずだ。そこにはおそらく各人の数だけの、何らかのテーゼがあり、目標のため積み重ねてきた練習の日々が存在する。日ごろ他人にはいくらか言い訳のできる人であっても、いったん走るとなれば、自分と自らのもつ肉体に対し、決していい訳などできない。そういう状況に、自ら望んで追いやるのである。

 走る人を見ていていいなあと思うのは、決められた時間と場所を必要としなくていいことである。もちろんある程度の事情はあるだろうが、総合すると、基本的にはシューズとランニングに適した服があればあとは意志だけ奮い立たせ、朝なり夕なり走ればいい。これがダンスとなるとそうはいかない。ランニングと同じように、ダンスにもターンやジャンプをするのにふさわしいシューズなり恰好というものが存在し、建前上はいつでもどこでも、健康な体さえ持っていれば勝手に踊れることになっている。でも実際には、私が今突然路上で踊りだしたらそれはただの貧乏大道芸人か頭のおかしい人である。プロでない私が「ダンスをする」ことは、たいていの場合、踊れる場所を確保しなければならず「レッスンに行く」ことを示唆する。ある費用の対価として、然るべき広さの教室、音楽、指導の教師と振り付けを、90分なり2時間なりと得るわけだ。ランニングのように思い立ったらすぐ走れますというのとは若干事情が異なる。でもその精神的な自分との戦い、追い込み方、モチベーションの上げ方、あるいは集中すべき時の集中の仕方は、走ることととても似ている。

 物書きを志したのは幼い頃で、ジャズダンスをはじめたはその後になる。でも実際はダンスから、書くことについて学んだ。逆説的に聞こえるかも知れないけれど。中学時代の夏休み、午前中はダンス部で特訓をし、その後市民プールに行ってちょろっと泳ぎ、中央図書館で本を片っ端から読みまくり、本の感想や、好きなフレーズを書き写した。ダンスを踊ることの中に、私はものを書くのと同じ姿勢を見出していた。書くことについて師は持たなかったけれど、私はダンスから、その多くを学んできた。

 走っている彼らを見るたび、私も思い出す。そこには、むかし、私がダンスに見出したような、切実で、当人にしか説明のしえない、ストイックな理由があるのだと。書かなくては、と思う。どこに辿り着くか分からなくても。知らない異国で、ストイックに自分を追い詰める、知らない男女の後姿だけが、私を静かに鼓舞させる。どんな慰めや、励ましの言葉より切実に。寒さのパリで、凍りついた体内から、書き続ける熱を、よびさまさせてくれる。

 「いつか辿りついたら 君にうちあけられるだろう 

  言葉もない 俺たち ひどく熱かった日の 夕だち」

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