Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

ドーバー海峡の白い崖

 『三銃士』が大好きだった。小学校高学年になって、NHKアニメ(『アニメ三銃士』)で放映され、毎週、胸を熱くして観た。金曜の夜の30分枠で、翌週が待ち切れず、ビデオまで取って毎日繰り返し見たから、ほぼ丸暗記している。

 ダルタニャンの勇気と知恵、三人の銃士との友情、コンスタンスやミレディー、鉄仮面といった魅力的な悪役、わき役たち――、たいていの女子が『ベルばら』でフランスへの扉を叩くとしたら、私はこのガスコーニュの田舎から夢を抱いて出てきた、ちょっとばかり無鉄砲だけれど、機転が利く主人公と一緒に、冒険の旅に出た。

 利発なダルタニャンも若さゆえ、いろいろ痛い目にも合うけれど、仲間に助けられ、事態を打開してゆく。いつか私も「こんな物語が書けたら」と、いてもたっても居られず、と同時に「自分自身も、こういう生き方をしたい」と、強く思った。

 毎回、エンディングテーマとともに、舞台となったフランス各地の実映像が映し出された。それを見てフランスへのあこがれを募らせるようなセンチな子供ではなかったのだが、ルイ13世のフランスという時代背景には興味を持ったし(ベルばらファンが熱心にフランス革命について学ぶように)、アンヌ王妃とバッキンガム公のおかげでダルタニャンは首飾りをとり返しにイギリスへ渡ったりしたものだから、当然隣国が気になって仕方ない。今みたいにネットやWiki先生等、頼れるものはなかった。知りたければ、駅前の大きな本屋で地図帳を立ち読みするか、中央図書館へ行って調べるしかなかった。

 ダルタニャンはフランス・カレーの港からドーバー海峡(Pas de Calais)を渡る。イギリス本土が近付くと、一緒に乗り込んだ馬のロシナンテに「ごらん、あれがドーバーの白い崖だ」と静かに語りかけるシーンがある。かすかに風も吹いていた気もする。(若干、記憶に脚色があるかもしれない)当然、10年そこそこしか生きていない小学生がそんなものを、たとえテレビの中とは言え、見たと思いなせえ。

――「うぉおおお、フランスのカレーというところからイギリスのドーバーという地点まで船で渡れるのか!34キロだ。走れば行けないことはないけど。そしてそのドーバーの崖というのは、石灰質というのでできているから、白いのか!」

 いちいち大興奮し、ノートに書き留め、いつか自分も船で渡らにゃ、死ねないと思う。まあ、こと小説や物語となると、何かにつけて大袈裟な小学生だったみたいだ。この夢は後年、成就する。20代の放浪時期、パリ―ロンドンを結ぶユーロスターに乗る金がなかった、というのがそもそもの理由だが「ああ、そういえば『崖』みなきゃ、崖」と、フェリーに乗ったのだ。結構簡単だった。ようは電車でカレーまで行き、フェリーのチケットを買い、ドーバーについたらそこからまた電車でロンドンを目指すという、ただそれだけの話である。返って時間とお金はかかるけれど。大層くもった日で、雨すら降っていた記憶があり、極秘任務遂行のため意気揚々とデッキに佇んでいたダルタニャンどころか、寒くて震えながら船内におり「早くつかないかな」と思っていた。崖の白さも、靄でぼやけてはっきり覚えていない。まあ、そんなもんだよね。

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 三銃士の話に関しては、テレビヴァージョンなら全52話、おそらく素面で全スクリプトを書けそうな危険性があり、マニアックな過去はここでは伏せる。(ってもうバラしている)でもそういう小学校頃の記憶って、良くも悪くも大人になった自分の中に息づいて、何かの機会にふいに顔を出してしまうものなのだな、と思う。

 しんどい出来事があって、フランスに居ること、フランスに来てしまったことをかなり辛く、後悔したりすることもあるけれど、そんな時に限ってふとダルタニャンが私の中にひょっこり帰ってくる。なんだよ、頑張れよ。「どんなことがあっても、くじけるんじゃないぞ~!」 これは最終話で、別れ際、相棒のジャンに、ダルタニャンが涙を振り絞りながら大声で叫ぶセリフ。既に別の道を走りだしているジャンは、大粒の涙をこぼしながら、「わかってるさっ」と、後ろを振り返らずいうんだ。

 ――大学時代、日記帳の表紙裏に、この「どんなことがあっても」のセリフが英語で書かれている。ブルーのインクで。でもなんで英語だったのだろう (笑)? 「もし、どのようなことが起ころうとも、くじけてはならない(否定命令)」仮定法なんて、初級文法じゃん。

 ダルタニャンの国に、今自分はほんとうに居るんだなと、11歳の少女に教えてやりたくなる。NYにもジュネーブにも、三銃士は居なかったんだから。

 孤独を生涯の友として生きることを、私は小さい頃からずっと受け入れ、納得してきた。結婚はしない。家族も友人も持たない。物書きとして、深く閉ざされた井戸の中に降りてゆく一生を送るのは自明のことだったし、もともと、そうした生き方を苦痛と感じない性分だ。人と騒ぐより、静かに自分の世界を掘り下げて何かを掴んだ方がよろこびを感じやすく、一日13時間、机の前で黙々と仕事×2週間、3週間、ということも全く平気だ。社会的には高次不適応とか、仙人だとか、悪く言えばただの二分割思考の変人で、ある種の人格障害になってしまうのだけれど、本当の変人って、自分のことを自分でそうは言わないからねえ(笑)。

 人から強制されるもの、一方的にやらされるもの、押しつけられるものに対しては断固やらない、一切拒否するが、自分から興味をもったものに対しては周囲があきれるぐらいのめり込み、ありったけの情熱と持てる全エネルギーを(ない分まで無理やり醸造し)注ぎ込む。あまりいい例えではないけれど、5段階評価でいくと1か5しかないわけだから、(それなりにシンドイし)こういう生き方は出来ればおススメしない。そこそこ4とか2とかもあるほうが付き合いやすい。平均的な「3」の人こそ、アジア系集団社会に限った話ではなく、生きていく上で苦労は少なく、評価もされる。私だって好き好んでこういう性質なわけでなく、生まれ持った性分は大きいと思う。プラス若干の生育環境。

 そんな私でもこれまで一切「仲間」を求めなかった、というわけではない。間違いのないよう断っておくが、仲間や友情を小馬鹿にしたり、一人がいいと言っているわけではない。ダルタニャンだって、ひとりでも充分頑張れたけれど、そこに三銃士という力強い仲間との出会いがあったことで、いろんな人生の機微を知り、助け、助けられて幾多の困難を乗り越えることができたのだ。

 おそらく、日本語の「情」という感覚とは、含む内容が絶対的に違う気がする。

が、それはまた別のテーマで。<次回続く>