Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

mort/死  私が小説を書く時 

 私が小説を書く時、いつも『mort/死』のことを考える。

いつも、と言っても、現実の秒とか分単位で言えば、それは次のフレーズに持ってくるフロマージュの種類であったり、クロアチア沿岸へ渡る船の時刻であったり、主人公の兄の前職であったりと様々なわけだから、瞬間風速では「いつも」とは言えないかもしれない。でも、そうしたことを考えつつ、「常に」頭のどこかに、死のことを想ってそれらの物語を構築している。どうしてかは分からない。死へ向かうための小説でも、死を描く小説でも何でもない。でも、基本的に、言葉を生み出す時に、そうでなかったことは、たぶん、一度もない。

 6月もそろそろ中旬に差し掛かる。若い時、といっても、十代の中頃だけれど、二人の友人を失くした。一人は級友で、ひとりは十も歳の離れたお兄さんだった。たった17で、梅雨の向こうに消えてしまった彼のことを、どうしたわけか今朝、起きぬけのベッドの中で唐突に思い出した。もうすぐ命日だからかも知れない。

 いまの私はその倍のときを、無駄に生きてきた。17の時は、生きること、いや「生き抜くこと」の意味なんて、これっぽちも解らなかった。彼に無限に続いていたはずの夢も、苦労も、いいことも悪いこともひっくるめて「生きる」ことは、そこで中断され、ほんとうにきれいな顔のまんま、あちら側に行ってしまった。ジュッと音をたてて、夏の川辺の、線香花火みたいに燃えて。

 私が小説を書く時。それは今も、17歳の少年に向かって、語りかけることができるささやかな方法なのかも知れない。

 『死』を想う時。私は時々、14歳の時に踊った、ベジャールの『ボレロ』を思い出す。来週、ベルサイユ宮殿の野外劇場で、夜21時から、本物のベジャール・バレエ・ローザンヌ(ジル・ロマン監督)http://www.bejart.ch/boutique/fr/index.html がやってくる。今パリの地下鉄にはどこも、その巨大なポスターが張り巡らされている。

 

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Béjart Ballet Lausanne - Boléro de Ravel - YouTube