Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

Symphonie nº 9 de Dvořák(op. 95) « Du Nouveau Monde » /ドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』第4楽章

 モダンジャズ、今日からクラスが新しい振付に入った。いつも初日はドキドキする。教師は今回、どんな全体像をイメージしているか、誰の、どんな曲を使うのか。それによって、これからの約一カ月間「こういう点が自分に欠けているなあ」という技術的な気づき、補完がどれだけ可能か、あるいは逆で「ああダメだ、自分には無理だ」と思ってしまうのか、全く姿を見せなくなる人も中には居る。これからの長丁場、モチベーションをどう起動させるかの大事な初日、ここで技術的なことはともかく、まずメンタルの上で投げ出したり、嫌になってしまっては後に自分が苦しい思いをするだけだ。よし、今回はわりといけるかも、とか、おっと、これはスタンダードなジャズの技術から離れてそうとうストリート色を強くしたな、とか。苦手かもと思うか、ラッキーな、成長の機会と捉えるかで、一か月後の自分が笑っていられるかどうか、全く違ってきてしまう。(途中でマジで帰る人、居る)

 前回ジャネットジャクソンの昔の名曲をつかったから、今回は最近の若い米国歌姫を引っ張り出してくるだろう、と私は踏んでいた。ところが!

 数小節振り付けたところまではフツ―にいつもの彼っぽい、ストリートジャズの振りだなあ、と思っていた。あ、そこ2カウントレステ(休止)して回るのね、そんで右、左、またがしがしっと行って回るのね。ハイ、いつものJ(教師の名前)っぽい、パンチのきいたカッコいい出だしね。さらっと身体に入れた。ところが。

 ミュージックと合わせる段で、一同唖然。フロアに響き渡ったのは、あの、忘れもしない、「じゃ~ら・じゃ~ら。じゃらじゃらじゃらじゃら・・・・・・・・・」次第にクレッシェンドするオケ、そして

「どーん、どん、どん、が~ん・が・が~ん。ジャ~ンジャンジャララ~~ン」

で、出だしなのにもはや最高潮のフィナーレかよおいっ、的境地に達する壮大な、華厳の滝より壮大な(ビクトリアの滝だってかなわない)あの、誰もがしってる、クラシック!?交響曲~~~!

 Symphonie nº 9 de Dvořák(op. 95)« Du Nouveau Monde »/ドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』第4楽章 なのであった・・・・一同、振りを忘れて唖然。

 J・・・いったい何を想って・・・生徒のクラシック度を鍛えたかったのかそれとも単に夏を前に違う毛並みの作品でゲキを入れたかったのか・・・。

 何はともあれ、この曲、新世界。私は好きで日本に居る時もよくサントリーホールだの、N響だの聴きに行っていた。「遠き山に日は落ちて」で知られる第2楽章は実は私はあまり好まない。やはり、何と言っても第4楽章なのだ。しかもJの今日つかった音源は、ピッチが少し早目だ。私はこれまでもっとおとなしい、控えめの第4楽章を聴いていた気がするから、こんな荒々しい出だしの録音は、いったいいつの、誰だ???カラヤンかバーンスタインか、おっと忘れてはいけない、名盤と名高いケルテス、あとはチェコのノイマンのもの――。

 さあ、部屋に戻って一時間以上、名盤と呼ばれるほぼ10種以上の演奏を(4楽章のみ)ユーチューブで聴ける限り聴き比べた。う~ん。第4楽章だけでは全体像が掴めない。この曲は第3楽章で結構違いが出たりするから、それを乗り越えてどう最終章をもってきたか、が私的ポイントではあるが――それは今回はぐっと眼をつぶる。つまり「今日つかった音源を絶対に、間違わず、特定する」。と自らに課し――。

 さて、この曲は1893年につくられた。ドヴォルザークさん、1892年にはNYのナショナル音楽院に招かれて、以後3年間で彼の主要作品が書かれるわけだが、この『新世界より』は彼の「アメリカから故郷ボヘミアに向けてのメッセージ」として解釈されている。アメリカの黒人音楽が故郷のそれとよく似ていることにインスピレーションを受けたとも。初演はNY、カーネギーホール。全4楽章45分程度。構成はあくまで古典的交響曲の手法。第一主題が最後の楽章までつかわれ、統一感を保つ。

 1~3は飛ばして、問題の第4楽章。Allegro con fuoco、全体では2つの主題だけれど、第一楽章の繰り返しもある、壮大な総括。「じゃら、じゃら・・」という緊迫した半音階から一気にホルンとトランペットの第一主題へ(じゃーんじゃんじゃん・)第2の前にまた激烈な経過部があり、その後クラリネット、フルート、チェロとバイオリンが加わって小結尾。(今日はこのあたりまで)で、最後まで聴くと、10分少々なのだが、最後はホ長調に転じて、最後はフェルマータの和音。

 私は真っ先にこの荒々しめの演奏は「カラヤンか」と思ったけれど、なんと調べてみたらカラヤン、5回も録音しているじゃありませんか!!77年は美的に溢れていて違う、64~67年版は若く、勢いがある。でも中でひとつ、と言われたら――やはり晩年、85年ウィーンフィルか?荒々しさがポイント。それだけに敬遠する人もいる。もっと心に響く演奏ができるはずなのに、と。あえてJ(ダンス教師)は、これを選んだ気もするけれど。(――明日聞いてみたらえ、知らない。iチューンでテキトーにダウンロードした、とか言われるかも)

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 一般に名盤と名高いのはイヴァン・ケルテス、ウィーンフィル1961年。ケルテス盤は音が古くて生理的にお口に合わないの、という人がいるかもしれない。私も最初はその手だったけれど、さすが巨匠で、聴けば聴くほどあとから凄さがじわりじわりと滲みよってくる感じだから、困っちゃうんだよね・・・。。

 必須:同郷、指揮ヴァーツラフ・ノイマン、チェコフィルハーモニー1981年の演奏。(ちなみに93年、100周年ライブ盤もある)「珠」のような、チェコの秘宝演奏。言いつくせぬノスタルジー、スラブ民族の表す悲しみがひしひしと胸を打って言葉を失う。第4章は、その1~3の流れがあるから、ゆっくりと、噛みしめるように、感情が波打つ。出だしのホルンも若干弱めに抑えている。ここだけ聴けば物足りなくてカラヤンに飛びつく人は居るだろうけれど、根強いノイマン派がいるのはうなづける。

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その他、ケレル・アンチェル(チェコ)、ラファエル・クーベリック(ベルリンフォル)等も。近年ではアバドもケンペもやってるのにまだそこまで名盤との呼び声は高くないみたいだ。

 とりあえずカラヤン85年、ケルテス61年、ノイマン81年をipodに納める。明日は朝の通常レッスン後、午後は3時間のスタージュ(研修)があるため、体力を回復しておかねば。これを聴きながら早く寝よう。 

 指揮者ストコフスキーは第4楽章におけるフィナーレ部分を「新大陸に、血のように赤い夕陽が沈む」と評した。さあ、我々は一か月後、血の夕陽まで辿りつけるのか?


ドヴォルザーク 新世界より カラヤン=ベルリンpo(EMI) - YouTube


「新世界から」第4楽章 - YouTube


Antonin Dvorak - Symphony No.9 "From the New ...