Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

『新世界より』 Part2

 シンフォニー第9番『新世界より』を作曲したチェコのドボルザークは、その時招かれてNYのナショナル音楽院に居た。3年間で、彼の後期主要作品のほとんどを書きつくした。アメリカの黒人音楽が故郷のそれとどこか似ていることにインスピレーションを受けて、彼は異国から、遠いスラブを想いこの曲を書いた。第2楽章は『遠き山に日は落ちて』と日本語でも歌われ、我々東洋人の心にも深く染み入ると名高い。

 昨日、何故かModan Jazzの、ストリートダンスバリバリのベテラン教師のもとでこの作品の振付が始まった。ここから先は、若干個人的なことになるが、奇しくも当方フランス滞在一周年。詳しくは書けないが、この先のあらゆる可能性を失い、未来はなく、絶望する気力すら残ってはいなかった。国へは戻れず、先へも進めず。ひたすら物語を書き、合間に踊りつづけるだけの日々。光はない。NYに渡るという案もあったが現実的ではなかった。

 そんな時、皆のド肝をぬく振付『新世界より』が昨日始まった。それまでは、ジャネットジャクソン、ビヨンセ、マドンナ、ジェニファーロペスetc米国のBDCで行われているような、いわゆる『ストリート系ジャズ』、ビルボードトップにあがってくるようなノリとセンスのよいエーゴのダンス曲を使ってがっつんがっつんに踊りまくる、、、クラスだ。皆。戸惑いが隠せない。出だしは思い切りパンチを利かせているものの、主題の旋律に入って以降は、クラシックの身体の使い方、テクをふんだんに取り入れた。自ら振りつけておきながら全員の姿を見て必死で笑いをこらえているのは教師Jであった。

 昨夜、音源探しをしたあと、頭の中でカラヤンの演奏の出だしを何度も流しながら、振りをインプットさせてよしなしごとを考え眠りに付いた。

 このまま、無意味にひたすらダンスを続けてゆくことに、私は若干想いを失いかけていた。スタンダールで言えば、恋愛における初期の「第一の結晶作用」が終わって、「疑惑」に入ったあたり。フランス語でアメリカを追っかけてどうするんだ?これはフランス人により、米国に憧れるフランス人のためのものであって、なんで私がパリに留まって、たいして通じない仏語でそんなものにしがみついている必要がある?さっさとNYにいく自由が私にはあるのに。(ホントか?笑)必ずしも毎回レベルが一定でなく、物足りなさを感じるレッスン、完全燃焼しきれないというストレスのやり場がなかった。クラスを変えるのも時間の問題かもしれなかった。

 すんでのところで、私はこのフランスという国に対しても、そこで続けるダンスにも、この国で書き続けるということそれ自体にも――見切りをつける、という判断をせざるを得ない所だった。もう積極的に、私をこの国に留める理由を失っていた。――昨日までは。

 けれども、『新世界』を頭の中でリフレインしつつ振りを合わせて眠り、朝が来ていた。窓の外を見ると、向かいの寮の裏あたりからまっすぐ大きな飛行機雲が天に向かって伸びていた。

 それを見た時、私はこの『新世界より』を、今、このタイミングで踊ることの意味が(文字通り)“降ってきた”。なんというか自分の中で、もやもやとしていた何かが晴れ、分からないまま置いておいた景色と景色が繋がったのだ。パズルの欠片みたいに。

 多少の疲れや倦怠期(?)みたいなものに、自分で負けたら終わりだ。異国にあって自分を奮いたせることのできるのは、自分でしかない。

 出会う一つ一つを、大事にしよう。毎回のダンスを、振りを、一瞬一瞬を、最後みたいに、馬鹿みたいに全力投球して、力なんか決して残さないで、ぶつかろう。書くべきものを自分を信じて書き続けよう。悲しみを正当化するのはもうやめだ。指をくわえてみているのではなく、欲しいものをこの手できちんと奪いに行く。得ることができるのは、準備をしてきた者だけだ。自分は、無意味に三十数年を過ごしてきたわけではないと、それはこれからの自分でしか証明できない。蓄えてきた力と知恵、それに若干の勇気を振り絞って、あらゆることに出合えた「意味」を、自分のものにしていこう。人も、モノも、出来事も。

 教師Jのクラスに出ていなかったら、そしてこの『新世界より』を今この状況で踊っていなかったら、私は滞在延長の手続きに踏み切れなかったかも知れない。出会いは不思議だ。私はひとつの具体的選択をとることに決めた。なんというか、今朝、直感的に。飛行機雲の先に。「ああ、あの先を見よう」

 私の『新世界』を探す旅はまだ始まったばかり――第二の結晶作用だったりして。

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