Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

『今何かに触れた。それが何なのか知らなければならない』sylvie guillem interview シルヴィ・ギエム 規律の力

 もともとジャズダンスやストリートをやるつもりでパリへやってきたわけではなかった。11年勤めた新聞社を辞めたのは、5歳からの夢、小説家になることを実現させるためだった。そのためにはどうしても国を出る必要があった。日本に居ては文章は書けなかった。幾つかの理由があるがまたいずれ。

 小学校から高校卒業まで、一貫してクラスや学年で自分以上に『物語』を読んでいる人を知らなかった。図書室のカードは全部自分の名前で埋め尽くしてやろうと思っていた。夏休みはカロリーメイト片手に中央図書館の壁で世界踏破の旅に出た。勉強はしなかったし、友人も親も教師も居なかったけれど、トルストイが、ヘミングウエイが、チェーホフが、カフカが、私の話し相手だったから、忙しくて受験勉強なんかしている暇など無かった。

 19・20世紀あまりの偉大さに愕然とした私、マドレーヌみたいなバターギトギトのもんも食えないし、プルーストになることもこりゃ無理だわと腹をくくった。書くべきものなんて21世紀に残されているはずがない。しかもこの小さな島国の、まだ制服を着たおさげの少女に。

 中学3年生の夏、松本清張が亡くなった。彼が新聞記者時代に社会を貫くあの鋭い作家眼を得たと100%勘違いしていた私は「ひとまず10年、新聞社にでも入るか」と計画を立て実行した。これが大間違い。そもそも清帳は記者じゃなかったし(笑)予定を1年オーバーしてから海を渡った。『異邦人』になるためだった。

 初志貫徹、毎日無言で深い井戸の中にひたすら潜りこんで、パリの何も見ずに書き続ける日々。小説を書くのは想像以上に、フルマラソン的『長距離用体力』がいる。これは冗談でもなんでもなくて、本気で、心から言うけれど、『肉体労働』だ。集中力を保てなければ、机の前に何時間座ってたって、1グラムも意味がない。

 ついにパリの寒さに負けた。サウナ(ハマム)目的で入ったスポーツジムのプログラムで、モダンジャズにうっかり出会う。幾つかクラスを巡り、Jというストリートジャズ教師のクラスを見つけたのが運のツキ。足しげく通う羽目になった。

 ダンスは12歳から始めた。ジャズとモダンダンスの中間ぐらい。夏場は水も飲めず厳しい練習を3時間耐えた。あの10代の経験が、今の私の(小説を書くことを含め)全ての基礎だ。クラシックの必要性を感じ、バレエを15歳と遅ればせながら叩きこんだ。おおよそのダンサーが経験するであろう幾つかの喜びと感動、挫折、諦めもまた360度、丸ごとの感情を経た。社会人時代はさすがに夜に青山など都心部のスタジオクラスを受けるぐらいだったが、それでも細々と、途切れずに続けてはきた。

 「昔取った杵柄」というやつだ。パリ移住をはさんで、少し間があいてしまったけれど、身体を動かしてみれば当然踊りたい衝動は3分で戻ってくる。結局パリのスタジオを探しだし、ジムでのダンスは「エクササイズ」、そこに「アート」(魂)はないよなあ――と、じわじわと失望をも経験することになる。ダンススタジオの1クラスを取るには、概ね15~17ユーロが必要。今の自分には簡単に支払える額ではない。そこで、レベルその他の問題に目をつむりながら、我慢してジムのクラスに週に何度も通うことになる。行けばいらいらし、ストレスがたまり、どうにも叫び出したい1時間なりを、懸命にこらえている。普通は逆だよね。

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  先日ニコラ・ル・リッシュのアデューでシルヴィ・ギエムの姿を見た。彼女をはじめてみたのは、17歳の夏、府中の森に『ボレロ』を踊りに来た時だ。100年に一人の逸材とされる「ダンサー」ギエムは、踊りをはじめた時からずっと追い続けていたし、ダンスマガジンなど日本語雑誌やインタビューなら片っぱしから読んでいた。14歳の時に自分もボレロを振付で舞台で踊った経験があり、ギエムは文字通り「神」だった。

 それでもある時「もうギエムは――いっか・・・」という、自分とギエムとの倦怠期みたいなものはやってきた。若い頃は孤高のバレリーナ的カリスマがあった彼女も、年齢を取るに従ってモダンに手を出し始め、おそらくそれらの作品が私にはしっくり来なかった(ものが幾つかあった)。あるいは他に新しい、見るべきダンサー、コレオグラファーが沢山おり、ギエムはもういいよ――彼女は我が道を進んでくれるだろう――みたいな気持ちがあった。

 ただ今になって、この歳になって、海外にたった一人ぼっちで出てみて、ギエムを見るということ、読むということ、聞くということは、日本で感じるのとは「全く」違う意味をもつ。何よりギエムの言葉が、心にずしずしと重みをもって刺さる。ビルボード上位で騒がれる人気アーティストのコメントなどは3秒後には何にも残らない。本来、我々はこうして、心に、斧だとか剣だとかみたいに否応なしにずっしり突き刺さって、抜こうとしても抜けない言葉だけを選んで、大事に持ち続けるべきじゃないのか??と思う。(自分に対して、思う)

 ギエム:雑誌『vogue』インタビューより。

・合気道をしている。自分の専門とは完全に別物だけれど自分が進化し続け、最大の幸福を得られると思っている。そのために規律が必要。全ては物事を行う精神状態にかかっている。

・才能と運だけでは不十分。それをオーガナイズできるエンジンが『規律』。コンスタントな規則正しさが、自らの前進を助ける。それを行う勇気がなかったためにダメになった才能ある人々を沢山知っている。

・自分がしなければいけないことを知ること。計画を作ってそれを守ること。3キロの道のりを歩いて師に会いにいくことがそうであれば、私はそれを実行するでしょう。

・肉体が痛くなかったことなど一度もない。常に痛みを伴うものだった。だから真に投げかける質問とは『ほんとうに痛いままでいたいか、痛みを軽減させたいか』ということ。痛みに敏感になり即座に対応できる身体になること。たいてい25歳までにボロボロになるダンサーの身体も、私が最初に故障を経験したのは36歳ですから。

・何故舞台に立っているか。――初めて舞台に立った日、『今自分は何かに触れた、それが何なのか知らなければならない』と思った。立つたび新しい発見があった。次のページに感動や興味が隠されている限り踊りつづけると思う。

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 踊る人とはすなわち「踊る必要性のある人間」といいかえることができると思う。踊らずにはいられない人間、踊る理由のある人間。そのような者は、同じ魂を持つ者の中で、ちゃんと繋がり合わないとダメだ。それが私が何度もくりかえす「ダンスという言語」。ちゃんと、その場所は、自分で捕まえないと。時間とお金を無駄にしてる暇なんか、一秒もない、そう思うのだけれど。

―――行くべき場所は、分かっているのだけれど。

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