Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

Sylvie Guillem/シルヴィ・ギエム、引退の可能性について

 ギエムが来年、引退をほのめかしているらしい。情報の出どころはこちら、雑誌『Dance Europe』(ダンス・ヨーロッパ)最新の8-9月号。magazine | Dance Europe

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 特集のパリ・ニコラ・ル・リッシュ引退の記事を、Emma Kauldharという(おそらく英国在住と思われる)ベテランフォトグラファー兼ジャーナリストが担当。ニコラの日本人気も考慮してか、毎月1ページある日本語訳のページになっている。ネット上でも読むことができる。7月9日、ニコラのアデュー公演にギエムが駆けつけたのはご存じのとおり。公演後のパーティーの席で、ギエムはこの記者に対し「2015年にロンドン、パリ、東京で引退公演を行い、舞台から退くことを考えている」と打ち明けた、という。

 Sylvie Guillem シルヴィ・ギエム、1965年パリ生まれの 「100年に1人の逸材」と称されるバレエダンサー。来年はちょうど50歳に当たり、ニコラの引退を見ながら、その女王の歴史にピリオドを打つことを口にしたとしてもおかしくはない。これには前振りがあって、2013年11月のジャパンタイムズの記事(日本でマッツエックのカルメン公演時の英文インタビュー)で「たぶん私は数年後、あまりに痛みが多くなった時に踊りを辞める(本能的な人だから)今はまだダンスを楽しむが、さよならを言う時のため、私は長く準備をしてきた」と語る。An audience with Sylvie Guillem | The Japan Times

 ギエムについてはこれまでも何度か触れてきたが、もう一度経歴をざっとまとめたい。

 ギエムはもともと器械体操出身。12歳でフランス国内オリンピック代表予選突破。オペラ座校長のクロード・ベッシーに見出され、1976年同バレエ学校、81年オペラ座バレエ団入団。足の甲、180度どころか200度までの開脚から「6時のポーズ」などとあだ名される。83年ヴァルナ国際コンクール金賞・特別賞、優秀賞三冠。84年、19歳にして史上最年少パリオペラ座エトワールに就任。85年には日本に来日し白鳥を踊っている。88年、多忙を極め、更に外部からのオファーを受けられないオペラ座体質に不満を募らせ電撃退団。「フランスの国家的損失」と呼ばれる歴史的事件となる。翌年英国に移りロイヤルバレエ団の「ゲスト・プリンシパル」という肩書きで活躍した。親日家として日本での公演も多い。また2000年代からコンテンポラリーに取り組み始め、多くの現代振付家とのコラボレーション作品がある。

 ストイックな発言から「マドモアゼル・ノン」の異名あり。(これはヌレエフが「ムッシュー・ノン」だったため、英国メディアが名付けた)絶えず周囲との対立があり孤高の道を歩んできた。プライベートについて語らず、インタビューと舞台映像を残すことを極端に嫌う。理由は「面白みに欠け、ろくなものが残らないから」。録画では香りも躍動も伝わらず、その公演が自身の最高になるとは限らないから。全盛期を残しておかなかったことに悔いはなく、瞬間を捉えなければ意味がないという。

 ギエムが口を開けば、普通のダンサーの常識を砕き勝手に「名言」としてひとり歩きする結果になる。曰く「才能のない人間の努力する姿をみるのは辛い」、「絵を描く人は、頼まれて描くのではなく必要があって描く。私も踊る必要があり踊る。必要があってはじめて本物になる。必要がないものはただのファッション。世の中には、偽アーティストや偽コリオグラファーが沢山。彼らはただ、観客の求めに応じてビジネスのために作品を作っている。必要があっての仕事ではない」等。

  英国『オブザーバー』紙の2008年のギエムインタビュー(42歳時)が印象的。マスコミ嫌いの彼女にまともに食い込めるのはこの媒体ぐらいか。Sylvie Guillem | Stage | The Observer Sylvie Guillem Diva. Rebel. Perfectionist. And the most dynamic dancer of her era. Tim Adams meets the radical ballerina Sylvie Guillem;

 この中で古典(クラシック)からコンテへと移行して行った経緯が語られている。「ラッセル・マリファントの作品に衝撃を受け、自分も挑戦したいと思った。彼の舞踊言語が、マーシャル・アーツやカポエイラの影響を受けており、自分にとって、未知のものだったからだ。『シンデレラ』を何度も踊って何が得られるか?全ての作品には、良い面と悪い面がある。しかし同じ作品を繰り返し踊ることで悪い面が引き出される。ダンス人生において作品に命を与えるために、新鮮な食べ物を与える必要がある。ゴミ箱の食べ残しをあさるのではなくて」

 英国ロイヤルバレエ団についても後年、振付家ケネス・マクミランと衝突したことを明かしている。あまりに伝統的な衣装、閉鎖的な考え方を拒否し、時期バレエ団監督候補に挙がっていたことすら本人はまったく興味がなかったらしい。パリオペラ座時代も彼女の首を絞めるものだらけで、結局できるのは周囲をシャットアウトし、自己防御だけだった。

 彼女を抜擢した、ルドルフ・ヌレエフについて。「ヌレエフは人間に光を置く初めてのダンサーだった」「彼は私だった。彼の孤独を克服する方法については、絶望的だった」――ヌレエフが既に病に侵されていた50歳の舞台では、彼女も駆けつけジゼルを踊った。ほんとうは彼のお別れの舞台だったのに、英国民はギエムに拍手を贈った。

 「たいていの人間は言う、あなたがバレエの常識を覆したのだと。けど冗談でしょう、観に行って思うのは、あんなヒドイ方向に私は貢献していません。私をコピーするなら、もっとうまくやるでしょ?ピカソは24人も要らないの。オリジナル1つあれば充分」――身体の知恵を求め、彼女は合気道のクラスに出るために去った。

****************************<記事は以上>***

 日本から多くを学ぶギエムはタニザキ作品も読み「陰影」に深い思いを寄せる。陶芸では黒田泰蔵氏 TAIZO Style と交流があり、自身の作品を彼女の写真集にも載せる出来。黒田氏のトレードマークとも言える、白磁のシンプルな器 f:id:kotorio:20140804050953j:plain は、まさにギエムの生き方そのものに見える。ニコラ・ル・リッシュと安藤忠雄の建築美術館に二人で行ったドキュメンタリーでの一場面も。

 一流とは、批評家を寄せ付けない。どんな世界でも。ギエムを見て思う。小難しい文句で「こうでああだから凄いんだ」と手取り足とり教えてもらわずとも、最高とは、頂とは、真とは何か、一瞬で伝える。常に革新し続けるために、逆らい続ける必要があった人。踊るための肉体を極限まで維持し、社会に影響を及ぼす稀有な存在。ギエムを知ってしまえばそれ以外の何に魅力を感じればいいのかと戸惑うほどだ。彼女が舞台を退いたとしても、鋼の意志の歩みは、留まることはないだろう。


The culture show:Sylvie Guillem - Force of nature ...

 最後にお宝映像。パリオペラ座時代、軽々とドンキを踊るギエム。後半ではニコラ・ル・リッシュがとんでもない跳躍を、中盤ではアニエス・ルティシュも。


Don Quixote-S. Guillem; N. Leriche; A. Letestu - YouTube

【追記】記事の10日後、8月14日、ギエム出演の東京バレエ団公演を主催する『公益財団法人日本舞台芸術振興会』が発表。「ギエム、来年末(2015年末)引退」。本人コメントをHPに掲載した。詳細:「2015年の終わりに踊ることをやめます。日本でさよなら公演を行う予定です。現在のところ申し上げられるのはこれだけです」日本では全国ニュース扱いに大成功・・・???