Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

グラナダ版ホームズ第6シリーズ第38話:The Adventure of the Red Circle『赤い輪』

 56短編のうち41番目、ストランドマガジン1911年3・4月号。『最後の挨拶』収録。これを今書いていてふと思った、関係ないけど1911年と言えばイタリア・トルコ戦争(トリポリ戦争)の年。さあ『赤い輪』とは。

 

 こちらは正典を読んでもあまり共感というか、ネタ元がタイプじゃない系か――、という記憶があって(導入部分はけっこう面白いが)児童向けにはちと難しいかも、とか色々思いだしていたところ、グラナダは今回も大幅独自脚本路線に走っていた。

 ワトスンが独自捜査に乗り出て、イタリア人フィルマーニの元を訪れ、これが仇となってフィルマーニは喉を切られて殺害される、というエピソードを加える。

*中盤、二人が必死に「訊ね人」広告欄を当たっている新聞は、正典では「デイリーガゼット」のはずが(ガゼットはバーミンガムの新聞社か)映像で「Daily Chronicleデイリークロニクル」。1872年―1930年までの大衆紙、1930年にデイリーニューズと合併して「ニューズクロニクル」に。1914年ごろには当時のロンドン主要5紙合計を上回る14万部を発行、第1次大戦支持派。シャーロキアンなら押さえておくべきネタは、コナンドイルが同紙の特派員として、第一次大戦の西部戦線の模様を寄稿していたこと。歴史サイト⇒ Victorian Bookmarks: The Daily Chronicle

*ワトソンが半主役的に動き回るのも、別に正典のせいではなくてジェレミーさんの体調がひどく悪かったためという説が定番。この頃、既に撮影時以外は車いすだったよう。

*今作はひどくミステリー仕立て。でも正典はやはりいい文章、機知の富んだいいセリフが多かった気がする。どうして首を突っ込むんだ、というワトソンに「君も患者を治療中、報酬を度外視して症例を研究したことがあるだろう」「自分の勉強のためだ、ホームズ」「勉強は決して終わらない、ワトソン。最新のものが一番難しい授業の連続だ。これはためになる事件だ。金も名誉も、もたらさないが、それでもきちんと始末をつけたくなる」という会話は、どんなにしんどくても、周りに迷惑かけようとも、身体が衰えていこうとも「(役者としての)勉強は終わらない」という彼の本心にも思える――のは、情緒的過ぎてホームズに叱られそうだから、やめる。

 「私たちがウォーレン夫人の家に戻ってきた時」の状況描写がプロ。3分で10行以内を送れ、と言われた時、果たして即答で(日本語で)以下が書けるか?

(自分訳)『ロンドンの冬の夕闇は、ハッキリと黄色い四角の窓の光が闇を切り取った。ガス灯の輝きが闇を滲ませている部分を除いて、色のまるでない、一枚の暗いとばりがかかった様に濃くなっていた。明かりを落とした下宿屋の居間から外を除いた時、薄暗がりの中に、きらめきながら明かりがまた一つ灯った』

 一文が長いから新聞向きの文章としてはボツ、送られてきたら使えない。でも観察眼だ、私が言いたいのは。ワトソンが(ドイルが)書いたのは「ロンドンの冬の暗闇の濃さ」⇒どんなふうに濃かったのか?を、一つの比喩で表した。暗がりに明かりが灯った、なんて別に装飾のないフツ―の文章なんですけどね。ワトソンの予感と、何か起こりそうな気配が何となく「書かない空気が」伝わる、ドイルはそんな文章家だった気がする。

*ラスト7分はまさにイタリアンな「サスペンスドラマ」風。こういう回も悪くないけど。ちなみにでてくる警部はロンドン側は、ホーキンス君になっている。ホームズが人こと「ヤードでも腕利きのひとりだ、ツボを心得ている」とおほめの彼。

*「イギリスなら逮捕だろうがNYなら感謝されて釈放確実だ」とアメリカ人警部。

*ホームズのセリフは正典にはない。「法は規範だが、正義はその達成が困難なのだ」。どうして関わったのか、と警部はホームズに訊ねるが「おやすみ警部」と横顔を見せるクールなホームズ。

*正典はラストはこの後「まだコヴェントガーデンのワーグナー2幕に間に合うかも」なんて言って終わるのだけれど、グラナダは実際に劇場にいる。そして何とホームズが、劇を見ながら涙を流す。色々議論が盛り上がっているみたいだけれど、フランス版で「ジェレミーの涙」説も。

 もの悲しげな音楽も良かった。


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