Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

夏時間にもうすぐさよなら

 ダンスが夜21時半に終わってシャワーを浴びて出ると22時。昨夜はもう真っ暗。今朝も7時になってもまだ陽の光が見えてこない。もうすぐ夏時間の終わりが近い。夏の感じられないまま、駆け足で秋は過ぎ冬が来るヨーロッパ。

 欧州の寒さは格別なんだ――と沢木耕太郎が『深夜特急』の中で旅人に言わせていたセリフが、今さら胸にぐっと迫る。

 それはたったひとりの、孤独としての「寒さ」、帰ってもただひとり、“ただいま”のひとことさえ長い期間発することなく、誰とも口を開かぬまま毛布にくるまるしかない者の、言いようのない「さむさ」だ。

 ダンスに関わる、叫び出したいような想いは、もう一つのブログ『chose parler de la dance ダンスについて語ること』で書き連ねている。


Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

 最初は仏語で書いていたが、もはや自身の言語能力が追い付かず、どうしても日本語でしか表現できないものがほとんどだと気づいた。これまで12年、(日本語の)文章作成のプロとして、日本語にしつこくこだわりつづけてきたことが、逆に自分で他言語変換の際の壁を作ってしまって、18歳(たいていの人間が希望に燃える大学入学時年齢)の時みたいに、素直にすっと入っていかない。

 物事には、順序や適した時期がある。が、それを言うのは(自分に対して)フェアじゃない。いいわけはやめよう。

 今全力でやっている事が、明日にまったく繋がらないことほど人を虚しくさせることはないだろう。いずれ人間をダメにする(能力も、外見も)。

 それにしても、昨日も書いたけれど、ダンスの時でも、その人間の外側をじっと「観察」してみると、おおよそのことが想像できる。あの人は何考えて踊っているかとか、異様にスカートが短くなっているわけとか、いつもだらしない彼女のネイルが気合入っているのはどうしてか、とか(笑)

 「目的」がない作業ほど、無意味なことはない。勉強も読書もダンスも。そして私が最も重要だと思うのはどんな時も「集中力」

『これほど熱心に勉強したり正確な知識を身につけるには、

 何かはっきりした目的があるに違いない。

 ただ漫然と読書するだけでは、人に眼を見張らせるほどの正確な知識を

 身につけられるはずがない。

 よっぽどの理由がなくては、小さな(細かい)部分に、

 頭を悩ませたりしないのだから』 (『A study in  scarlet』第一部より)

 

 昨日、半年ぶりにパリで美容院に行って10センチ切った。パリで最も安いと思われる所。夏時間の終わりとともに、捨てるものは脱ぎ捨てて。