Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 フランスのよしなしごとを徒然なるままに

フィナンシェじゃだめだったんですか、プルーストさん(1)

「私は無意識に、紅茶に浸してやわらかくなった一切れのマドレーヌごと、ひと匙のお茶をすくって口に持っていった」(鈴木道彦訳・集英社
 マルセル・プルーストの長編「失われた時を求めて」。かの村上さんも挫折したとおっしゃるこの小説、読み終えた人間は「名刺に刷ってもいい」とか。村上さんはそのうち「失われたときの読了者限定のサロンでも作るか」と言っています。英国には本気で『失われたときを求めて/要約選手権』があるんですよね。

 この物語の真の主役は「マドレーヌ」。第一篇の冒頭、マドレーヌを紅茶に浸して口にしたした瞬間「私」(プルーストさんとされる)は過去の記憶を蘇らせ、長い物語の始まり始まり。コンブレー(「私」の父親の故郷)で叔母のレオニが日曜の朝にくれたマドレーヌのかけらの味。その蘇りがそれが引き金となって、一家で休暇をすごしたコンブレーでの出来事が目に浮かぶ。上流から下級まで、全てのフランス社会を描きつくす、長い物語の超・超有名な幕開けですよね。

 第7編は映画でみることが出来ます。みんな挫折してここまでたどり着かないけれど、実はこの長編は、第7編で色んなそれまでの謎が集約され、明かされるというとんでもない小説。20世紀を代表し、全ての作家が影響を受けたとまでされる「失われた時を求めて」。私は「無意識のほにゃらら」というだけで毛嫌いしていたけれど、今日はそのプルーストさんに迫ってみます。

 医者の息子として生まれたプルースト、病弱で少年時代にはコンブレーのモデルとされる村イリエで長い休暇を過ごす。パリ大学で法律を収めるが病弱を理由に仕事をするでもなく社交界のサロンに出入りして「高等遊民」の毎日を送るいいご身分です。まあここで文学・美術、芸術全般に関する深い眼を磨いたようですが。
 短編はそれまでも書いていましたが、実際腰をすえて小説にかかったのは30才超えてから。4編までは何度も手を入れ発表したものの、5編以降が刊行されたのは彼の死後。この小説を書くためのプルーストの一生でした。

 この小説で「マドレーヌ」についてプルーストは「帆立貝の筋の入った貝殻で型をとったように見えるお菓子」と記述しています。文字通りマドレーヌは貝殻形の焼き菓子。スペインのサンチャゴ・デ・コンボステーラ巡礼者がホタテ貝殻をシンボルとした(携帯用の食器でもあった)からだとも。
 「マドレーヌ」の由来には沢山の説があります。有名なのは「コメルシー」説。ロレーヌ地方の小さな町コメルシー出身の女中・マドレーヌさんは、仕えていたロレーヌ公の晩餐会でお菓子を出すことに。急遽焼いてみた故郷の焼き菓子、ロレーヌ公は大層気に入って彼女の名をつけた。ほかにも19世紀タレイラン公のもとで働いていたアヴィスという製菓職人が作った、などなど。
 マドレーヌは子供から大人まで誰の口にも合う、優しいくて、卵とバターをふんだんにつかった「懐かしいスイーツ」の代表格です。幼いころの食物の記憶は、大きくなっても人の心に刻み込まれ、それがこの小説全体を貫く足がかりとなります。美食家として知られるプルーストの、貝殻型の思い出マドレーヌ。私は銀紙に包まれたカップ型も好きなんですが。

 小ぶりマドレーヌは東京都下の某市『ボストーク』で有名なゴンファノンさんというパン屋さんのものが、kotorio思い出の味。

 ところでハナシを元に戻して。紅茶に浸してあの長い物語を立ち上げるのって、どうしてもマドレーヌじゃなけりゃダメだったんでしょうか、プルーストさん。 

ウィキ先生によると『フィナンシェとはフランス語で「金融家」・「金持ち」の意。

イタリア・フィレンツェで権勢を誇ったメディチ家をシンボライズしたフランス菓子。フィナンシェ型と呼ばれる小さな台形の金型で作られた菓子の形が、色・形において金塊に似ているから、あるいはサン=ドゥニ通りの菓子職人ラヌが考案、パリ証券取引所周辺の金融街から広まったからともいわれる』と。

つくり方はアーモンドパウダーを粉と等量(もしくは多めに)入れ、卵白、ブール・ノワゼット("beurre noisette"、焦がしバター)、砂糖を混ぜ型で焼く。焦がしバターとアーモンドの香ばしい風味が特徴で、マドレーヌ同様、紅茶に合うとされる。

 さてここでクエスチョン、同じ焼き菓子でも、マドレーヌとフィナンシェの違いは?ずばり、フィナンシェは卵白のみを使うのに対して、マドレーヌは全卵を使うこと。

 プルーストさんに端を発した「フィナンシェじゃだめだったんですか、プルーストさん」マドレーヌシリーズ全12回の始まりです。